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局長「りょう」との”なれ初め”、そして今へ

こんにちは、大アの坂田大輔です。
(顔写真)

今日は、ボクの自己紹介を通して、
ボク自身はもちろん、
大アについて知って欲しい!
ということで、

「なんで自分はいま、
大アにいるのか?」

について書きていきたいと思います。

大アはアウトドアの団体ですが、
やっぱり自分も幼少期から、
外で体を動かすのが好きな
ガキんちょでした。

ドラゴンボールとドラゴンクエスト世代
ど真ん中だったせいか、
毎日のように、木の枝を持っては
多摩の草薮や林に入り込んでましたね。
(林の中の画像)

辺りが暗くなるまで、仲間と「冒険」して、
思いきりケガや足が痛めた分だけ
自分は成長できるという、
完全なる「ドラゴンボール的」思想で、
日々の充実感を得ていた、
まあ一言で言えば”変態”ですね笑
(DB的画像)

中学に上がっても、
1時間の電車通学に3ヶ月で飽き、
友達と20km近く歩いて帰るという
the おばかっぷり。

友達は親にこっぴどく叱られるも、
自分は全くお咎めなしな
特殊な家庭に育ったのも、
今思えば、”変態”の温床になってますね。
うん。

大学に入ると、自転車にハマり、
徹夜弾丸で自転車で富士山いったり、
房総半島を1週間かけて1周したり、
鹿児島〜東京を2ヶ月かけて走破したり、、
(写真数枚:チャリ)

その土地土地の空気や匂いを感じたり、
その場限りの出会いに心を躍らせるのが
大好きなんですよね。

社会人になってから、登山を始め、
テント積んでの縦走やトレラン
足を踏み入れていたのが、30前後の頃。
(山写真)

でも、

奥久慈(茨城)の60kmレースの翌年、
東北大震災の影響で
放射能が問題となりレースは中止、
岐阜の御嶽山のレースに出た翌年は
前触れもなく噴火。。

自分がトレランすると
大きな災害が起きるのが怖くなり、
間もなくトレラン熱もさめ、、
(本当は、忙しさを理由にサボり始めただけ...笑)

そして、しばらくの後、
大アの局長「りょうちゃん」との出会いが、
「大ア」立ち上げへとつながっていきました。
(りょうちゃん写真)

<<<前編ここまで>>>

「りょうちゃん」との出会いは、
30前後の頃ハマっていた、
スマホのソーシャルゲーム『三国伝説』のオフ会。
(全然アウトドアじゃない爆 )

第一印象は、
(やばい、チャラい、怖い、、うん、距離を取ろう..)
ということで、テーブルの真反対に位置どり。

一次会の終わりで、初めて隣になると、
「大輔さん、次の日曜空いてますか?交流イベントあるんできませんか?いやまじで、今日のメンツの中で大輔さんに来て欲しいんです!お願いします!本気(と書いてマジ)で!!

(やばい、まじでやばい、ロックオンされた、、アングラな関わっちゃいけない人だ、、)
「...日曜は仕事が..」
※その後の詳細希望の方は、坂田まで

...それが、まさか今のようになるとは、不思議ですね笑

話す中で、真剣にイベンターやってる情熱の男で、
山が好き(山好きには悪い人はいないという信念)
とわかり、少しずつほだされていくのでありましたとさ。

「山」という共通の話題の中での
「何かしたいね」
の一言が全ての始まり。

それから2年半、
  • マウントランチ企画、
  • キャンプ&BBQ、
  • ゆるラン、、
大アとしての活動を広げて今に至ります。
(大アの集合写真)

30代半ばにして挫折をむかえた僕にとって
大アは”かけがえのない新しい居場所”
なんですよね。

過去の”趣味や
仕事の”経験や知識を活かせる場所であり、
タイプや専門の違う仲間と認め合える場所

漫画『ワンピース』でいうところの、”船”。
※漫画というメタファーに影響されやすいのもボクの特徴です。。笑 

活動やイベントを通して、
ゆる〜く広く人とつながることで、
”つながれている安心感”
得ているのかもしれませんね。

振り返れば、大アに関わるきっかけも、
「りょう」との出会いであり、

それを機に、現メンバーとも知り合い、

何か新しいことをやっていく輪に
加われていることが、
日々の生活のスパイスになっていることは
間違いありません。
(チュパイチュの画像)


さて、今回はこのあたりでおしまいにして、
ボクの”大アでの具体的な役割や実際の仕事”については、
またの機会に触れていきますね!

最後まで、読んでいただき、ありがとうございました!